2019年(令和元年)9月27日 金曜日 スポーツ欄の記事

ホッケー男子日本代表「サムライジャパン」は、東京五輪で開催国枠として52年ぶりにオリンピックに出場する。
「サムライジャパン」の浮沈の鍵を握る絶対的エースが、伊吹出身のFW田中健太(31)だ。
田中健太選手(校友'13産社)
①フォワード②滋賀県③HGC HC(オランダ)

ホッケー男子日本代表「サムライジャパン」は、東京五輪で開催国枠として52年ぶりにオリンピックに出場する。

5大会連続で出場する女子が注目されてきたが、男子も昨夏のジャカルターアジア大会を初制覇するなど力をつけてきた。代表メンバーは、ホッケーが盛んな旧伊吹町(現米原市)出身者や立命大OBが多い。京滋育ちの「サムライ」たちが、1年後の真剣勝負に向けて闘志を燃やしている。
「サムライジャパン」の浮沈の鍵を握る絶対的エースが、伊吹出身のFW田中健太(31)だ。安定した和歌山県教育庁の職を捨て、昨季世界屈指のオランダリーグで日本人初のプロ選手となった。卓越した得点力を示し「大事な試合でいかに僕が点を取るか。リーダーとして戦いたい」と自覚をのぞかせる。
オランダー部のHGCに入団。「ずっと国際試合をしているイメージ」という高いレベルでもまれ、的確な状況判断を磨いた。スピードあるドリブルを生かしてリーグ3位に貢献し、チーム2番目の9得点を挙げた。
 自身を海外挑戦に突き動かしたのは、オリンピックへの思いだ。伊吹山中、天理高、立命大と各年代で全国優勝を経験し、最年少の18歳で日本代表入りした。しかし五輪はリオデジャネイロまで3大会連統で出場を逃した。「東京五輪にすべてを懸けたい」と、周囲の反対を押し切って厳しい環境に身を投じた。
 現代表で最年長のベテランは、日本が初優勝した昨年のアジア大会でも、ストライカーの力を示した。マレーシアとの決勝では2ゴール。五輪大陸予選を兼ねた大会も制し、開催国枠でなくても五輪に出場できる実力を証明した。 「堂々と五輪に行ける。大きな目信になった」
 オランダでは満員のスタジアムでプレーする楽しさを知った。「オリンピックで結果を出すことが、日本でもホッケーがメジャーに近づく一歩だと尽っ」。湖国が生んだパイオニアが、日本ホッケーの歴史を切り開く。

 

伊吹出身のGK吉川貴史とDF山田翔太は、24歳で同学年の幼なじみだ。伊吹スポーツ少年団、伊吹山中、伊吹高、天理大、現在の岐阜朝日クラブまで、ずっと同じクラブでプレー。日本代表では守備の要として互いに信頼し合う。
 
 吉川は「試合中も前に出ることが多い」と積極的なセービングを見せ、的確なコーチングも光る。昨夏のアジア大会決勝でも好守を連発した。

 

山田は最終ラインの右サイドに入り、攻守に動き回る。口ングパスも正確で、「相手の攻めを予測してポールを奪い、攻撃につなげたい」。
2人の実家は自転車で5分ほどの距離。伊吹高では主要な全国大会で3冠を達成した。大卒後の進路は吉川が先に岐阜朝日夕に決まり、山田も「ずっと一緒にやってきてやりやすい」と同じ道を選んだ。

吉川も「試合中も少し声をかけただけで分かってもらえる」と連係に自信を見せる。
ホッケーのまちである伊吹の誇りを背負う。2人は「まち全体がホッケー大好き。すごく熱心に応援してくれる」と喜び、大舞台を心待ちにする。

 

日本代表には田中健太以外に立命大OBが顔をそろえる。MF田中世蓮(26)=岐阜朝日ク=は中盤の要で、2年連続の日本リーグ最優秀選手。
DF大橋雅貴(26)=リーベ栃木=は、FWだった大学時代にリーグ得点王に輝くなど攻撃力も備える。
FW渡辺晃大(22)=福井ク=はスピードが持ち味。
2人の姉も代表入りしたMF永井祐真(23)=岐阜朝日ク=は代表歴が浅いものの、ハードワークで貢献する。
また山梨学院大出身のFW山崎晃嗣(23)は昨年、SCREENホールディングス(京都市)に入った。
滋賀クラブに所属し、高い突破力を誇る。16人に絞られる五輪代表に向けて競争が続く。

前代未聞のミス低迷招く 苦難の代表チーム

 193x年のロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得したこともある日本男子ホッケー。長い低迷期を招くきっかけは、72年、日本体育協会(現日本スポーツ協会)による前代未聞の手続きミスだった。
 60年ローマ五輪から3大会連続出場を果たしていた。70年のアジア大会で3位に入り、72年ミュンヘン五輪の出場資格も得ていた。ところが予備エントリーの段階で、日本体協が締め切りまでに国際ホッケー逮盟へ書類提出するのを忘れ、出場が認められなかった。

 落胆した名手らが一線を退き、世代交代がうまく進まなかった。さらに70年代、世界のホッケー界は、天然芝から人工芝への切り替えという劇的な変化が起きていた。
プレーも、正確な技術やパワーが求められるスタイルに転換していったが、世界から遠ざかる日本は対応が遅れた。

 人工芝のホッケー場が国内で初めてできたのは、80年代に入ってから。立命大OBで日本協会の宮野正喜理事(68)=京都市左京区=は「ミュンヘン五輪に出ていたら、もっと早く国内に人工芝が導入されていたはず」と強化の空白期間ができたことを悔やむ。
 男子の日本リーグが発足したのは2002年。女子より5年遅れた。代表チームの強化を巡っても日本協会の「内紛」で停滞した時期があり、直近のリオ五輪を逃した。
さまざまな苦難を経て迎える東京五輪は、ホッケー関係者にとってまさに悲願の舞台となる。

伊吹出身の元日本代表主将で、聖泉大((彦根市)の監督も務める山堀貴彦日本代表コーチ(45)に手応えと五輪への展望を聞いた。
優位をつくるため、規律を守って戦う。日本の強みであるスピードを生かしたカウンター攻撃を武器にしたい。スローガンは大和魂。
 
カウンター攻撃武器に
2017年から指揮を執るオランダ出身のアイクマン監督のチームづくりは。「基本練習にみっちり取り組んできた。攻守で数的諦めない姿勢を出したい」
 
昨夏のアジア大会で初優勝を飾った。

「最後まで粘り強く戦えたのは一つの成果。ペナルティーコーナーでも駆け引きに勝って得点できた。五輪出場の懸かる大会で他国がリスクを避けて戦ったのに対し、開催国枠のある日本は思い切ってチャレンジできた。
逆に本番では、日本がプレッシャーに対応しないといけない」

東京五輪までどう強化を進めるか。

「(本番で使用する)大井ホッケー競技場が完成したので、まずはホームの芝に慣れる。ハイレベルな国際試合を経験しながら、プレーの質を上げていきたい。
目標のメダルにはまだ差があると思うが、アジア優勝など今までにないことができている。東京五輪が今後のホッケーの周知に関わる。五輪で戦う意味をかみしめ、日本代表としての覚悟を持つてほしい」

山堀貴彦日本代表コーチ(聖泉大監督)